2009年1月26日月曜日

組織・人材論に関する一考察

世間は不況風に吹かれ、大手企業でも営業赤字転落という結果に終わるところが続出している。かたや、Googleは成長は鈍化したとは言え黒字を計上し、日本国内でも元気な会社は元気。

派遣労働者の所謂「雇い止め」や工場の操業停止など厳しい経済環境が続く。早晩、正社員を対象にしたリストラは激しさを増すだろう。早速解雇に関連したトラブルも出てきている。

こんな環境下で、企業組織と人材について色々と考えるところがあったので書き記してみる。

企業ってなんだろう?というところから始めてみる。

企業というのは「所与もしくは獲得した資源を組み合わせて付加価値を創造し、他社に販売することで利潤を得るもの」ということになる。資源というのは所謂「人、モノ、金」ということになるが、最近ではノウハウやマニュアルなどの「コト」と特許やアイデアなどの「知識」も資源に含まれてくる。「モノ、金」については金額換算されるが、「人、コト、知識」は金額換算され難い。そのことを捨象すると、企業というのは悉く「資産を運用して利潤を得る」ものという様に考えることが出来る。

そこで、資源に含まれる「人、ノウハウ、知識」なのだが、この不況期に問題になってきているのは主に経営資源の中のこの部分なのだ。

経営環境や事業環境というのは日々変わっていく。「プロダクトライフサイクル」というものがあるが、事業や業界というものもそれと同じ曲線を描く。つまり、市場形成期から成長期に入り、成熟期を経て衰退期に入っていく。その環境変化のなかで、それぞれのステージで必要とされる経営資源というのは違ってくる。

経営資源の中で最も柔軟性があるのは、金。値段がついているものであれば何にでも交換可能である。資金があれば、その時々に必要な金以外の資源を交換によって調達することが出来る。
逆に、柔軟性に乏しいのはモノ。設備にしても何にしても、その用途は限られて他の資源に変換することが難しい。
知識やノウハウは比較的柔軟性は高い。知識にしてもノウハウにしても、他に応用することが可能な場合が多いからだ。しかし、人の柔軟性というのは限定的である。人には意志があるし、趣向の問題などがあって事業の変化に合わせてやることを変えていくということに対して抵抗感を持つ人も多い。

単純作業に従事する人は柔軟性は高い。作業自体は決まっていることの繰り返しとその繰り返しの中での改善に終始するので、経験を積めば誰でも出来るようになる場合が殆どである。厄介なのは知的作業に従事する人である。

知的作業は習得に時間がかかるケースが多い。その為、育成にコストがかかる上に、一端習得したものを捨てて他の知的作業に移行するというのは労使双方のサンクコストが大きく難しい。企業でバックオフィスのホワイトカラーが肥大化する一つの原因はこれである。

ある程度高度な専門職であれば、弁護士や税理士などの様にそれだけでビジネスになる。しかし、ある業界やある企業の知的作業の特殊な部分について習得した人の場合、他の企業で利用できるのは部分的であると考えられているために、ある業界や会社で付加価値がなくなった知識労働者が他の業界や会社に移ることは抵抗があって進まない。その為、知識労働者は時間の多くを反復作業に費やすことになって生産性を落とす結果になる。
しかし、実際のところ知識労働者の持つ知識やノウハウの多くは他の業界や企業にいっても必要とされることが多く、反復作業で生産性を落とすくらいならば他の企業で仕事をした方が良いだろうと思うのだ。

例えば、人事に関わる人は人事制度を作ったり、組織方針を作ったりする時に、専門的な知識が必要になってくる。しかし、それが終わった後には彼らには日々発生する人事マターの反復業務になってくるわけだ。付加価値としては制度作りのときが一番生産性が高く、制度が順調に運用される様になればやることはなくなってしまう。大企業で3~5年で人事制度の見直しなど常に仕事がある場合を除けば、スペシャリストであればあるほど一つの企業で継続的に仕事はないと思った方が良いだろう。

ここで見えてくるのは、どの職場でも必要とされる労働力が変わってきているということだ。ブルーカラーであれ、ホワイトカラーであれ、高度であればあるほど一つの企業ではその能力が短期間しか要求されない。また、他に必要としている組織は沢山あるということになる。

しかし、スペシャリストになれない人も当然ながらいるので、そういう人は継続的に同じ場所で仕事をして生産性を向上させる方が良い。

つまり、組織にとって、能力が高い人であればあるほど短期間で成果を挙げて去り、能力が低い人ほど正確な仕事に打ち込むというのがベストではないだろうかと思う。

今、リストラが話題になっている中で、一番まずいことだなと思うのは、企業から能力が低いと思われている人ほどリストラの対象となっていることだ。苦境に立った組織では、実は一心不乱に今の仕事ぶりを良くしていく人の方が必要とされる。毎日同じようなことを、少しずつ改善していく地道な取り組みにひたむきに打ち込める人が必要になってくるのだ。逆に、今やっていることの枠を突破して新しい着地点を見出そうという人はそういう現場ではあまり必要でないことの方が多い。そう考えると、全てではないにしても、能力の高い人から他の職場に斡旋して、そこで新しいことを始めてもらうほうが良いのではないかと思う。

例えば、能力が高い人を自分達の顧客企業に斡旋して転職してもらう。その人が顧客企業の業績を挙げてくれれば自分達の仕事も増えていく。残された人材は今の生産性を極限まで高めることに邁進する。

つまり、労働者の高い層の人たちは何時までも組織にしがみついていない方が良いだろう。

もちろん、能力には「高」と「低」しかないわけではなく、その間に傾斜があるわけで、中間であればどちらの選択もありうるだろう。

いずれにしても、企業自身も人材を「囲い込む」目的を考え直す時期に来ているし、労働者自身もプロフェッショナル・スペシャリストになっていけるように自分を高めていくべきだろうと思う。

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