2011年4月25日月曜日

分析する心

"分析"という言葉の成り立ちはモノを刀で切り分ける意味の"分"と木を斧で斬り分ける意味の"析"であり、いずれも物事を分けるということだ。"わける"の二乗だから物凄く分けるということになる。しかし、分析をする時に、この分けることが足りないことが多い。

「売上げの分析をする」という時に、売上げ総額の推移だけを追っている場合がある。"売上分析"は本来ならば、商品分類別/顧客特性別が必須だ。商品分類も外形的な分類だけでも「形態/サービス内容」「シチュエーション」「価格」とあり、それぞれ三種類なら27分類になる。顧客も「年齢/創業」「年収/年商」「家族構成/事業構成」となり同じ様に27分類くらいはすぐに出来る。その組み合わせは729分類となるから膨大な分析作業が残される。実際には分析の前に簡単な感度シミュレーションをして、重要な分析に絞るが、「何故その分析を選んだのか」の説得力は同じ分析内容でも、網羅したなかから選んだのか適当に決めたのかで全然違う。

分析は、結局は、データによって他人に理解させることが目的だから、他人の反証を先回りして抑えないといけない。説明時点では、得てして用意したデータのほとんどが使わないものだが、その準備がないものは余り説得力を持たないものだ。だから、分析するには、一見して無駄になりそうなことを"背景"として愚直に実行する心が必要だと思う。

0 件のコメント: