2010年3月30日火曜日

金融事業の利益で郵便事業の赤字を穴埋めする歪さに目を瞑るのは愚かだ

日本郵政に政府が3分の1以上を出資して再国有化する方針を政府が打ち出した。郵便サービスの維持には金融事業の利益による穴埋めが必要と3事業の一体化を堅持し、金融事業の収益力強化のために郵貯の預入限度額や簡保の保険限度額の緩和する。

全国一律の郵便サービスを維持するためには赤字補填が必要と経営努力を無視して良いという方針は郵便サービス現場のモチベーションを下げることになるだろう。コスト改善や品質改善の努力が評価されることがないからだ。この数年の日本郵政の社内はかつてないほどの活気に溢れていたのだそうだ。改革は一方で既得権を失うことに対する反発を生みながら、他方ではチャレンジにワクワクする高いモチベーションを生む。その支えが外れた後の日本郵政からは優秀な人材から流出する現象がおきるのではないか。

金融事業の黒字を郵便事業の赤字補填に使うのは、預金者や保険加入者に対して不誠実ではないか。預金者により多く帰せる利子や安く出来る保険料を郵便事業に使うのであれば、「郵便事業募金口座」「郵便事業募金保険」として明記すべきだろう。更に、郵貯と簡保のリターンは国債の償還からなので、そこから一部を郵便事業に回すということは遠回しに郵便事業に税金を投入するということだ。

仮に、郵便サービスが公益法人で税金を投じてでもやらなければならないなら、郵便局だけに限った公益法人にすれば良い。それを誤魔化すのはいただけない。

金融サービスを公益法人が手がける必要は全くない。地方であれどこであれ、いまや金融サービスのなんらかの窓口がないところはほとんどない。僅かに残る地域にサービスを提供するコストを無関係のユーザーから徴収するのは不公平である。

国債の引き受け手を増やすために、財政規律が正常化するまでは「必要悪」という人もいる。頷ける意見だが、郵政再国有化を主張する人で財政規律まで考えている人はいない。野放図に財政拡大を画策するだけだ。

結局、「財政拡大による財政赤字」という間違いを、「公益法人の拡大による民業圧迫」という間違いでカバーしようという時点で恥の上塗りなのだ。

UNIQLOをデフレの元凶の様に言う愚論

サピオの読者投稿欄に「ユニクロがデフレの悪玉という記事が増えた」というものがあった。投稿はそんな記事を批判したものだが、整理をしておかなければと思った。

UNIQLOが(正確にはファーストリテイリングが別ブランドで)1000円を切る値段でジーンズを発売出来るのは、生産国(中国とかアジアの国々)の人たちを低賃金で酷使しているから、とか、国内でも安い賃金で労働者を虐げているという話が流布されている。安く海外で作るから国内の雇用が失われているとも。さて、ここで価格とか利益というものを良く考えてみないといけない。価格の構成は、ざっくり書けば以下の様になる。

価格=限界費用+粗利益…A
粗利益×販売数量=固定費+営業利益…B
営業利益=営業外損益+純利益…C

純利益は事業のトータルの儲けとなり、配当や投資の原資となる。(実際は会計上はコストが発生するが、実際に現金の移動を伴わないものを除いた営業キャッシュフローが投資の原資となるが)

この式で「限界費用」とは商品を一単位売るのにかかるコストのことでユニクロの場合は工場から仕入れる服がこれにあたる。ユニクロを批判する人はこの工場からの仕入れが安く買い叩かれていると主張する。ユニクロは確かに最安値の仕入れ価格で工場から買っているだろう。だが、そこには理由がある。

工場の経営を同じ様に考えてみると彼らの限界費用は生地や糸となる。この生地や糸を彼らは大量に安く仕入れることが出来る。ユニクロが製品を全部買ってくれるからだ。ユニクロが買えば買うほどB式の左辺が大きくなり右辺を賄える様になる。右辺が変わらなければ、数量が大きくなると粗利益を小さくすることが出来る。

粗利益が小さくなれば、限界費用は変わらないので価格は下げられる。ユニクロ自身も強力な販売力で数量を大きくすることで粗利益を下げている。ユニクロにとっての固定費は主に販売員なので、店舗あたりの店員を少なくする努力が重ねられている。例えば、ハンガーに商品を吊るしておくと客が広げた商品を畳む人手がいらないので店員を減らせる。GUの店舗はこの方法でユニクロよりも安い価格設定が出来る。

斯様にユニクロは大量販売と低コストオペレーションを徹底することで低価格を実現している。ユニクロのデザイナーは他のブランドよりも条件は良くないのだそうだ。その条件も偏に低価格で商品を提供するためだ。

ユニクロが低価格で商品を提供することは消費者の可処分所得を増加させ、消費者を豊かにする。販売店が増えて雇用も増やす。ユニクロはアパレル業界が「当たり前」の様に思っていた高価格と高利益に挑戦したのだ。そのイノベーションは見習われこそすれ、批判される様なものでは決してない。

2010年3月12日金曜日

百貨店の明日

日経ビジネス、東洋経済、エコノミストが続け様に「百貨店衰退」の特集を掲載した。

百貨店衰退の理由や今後の展望を自分なりに記しておく。

百貨店はかつて日本が貧しかった時代には、そのファシリティーも扱う商品も高級で贅沢なものだった。しかし、みんなの生活レベルが上がってくると、その魅力は色褪せてしまった。百貨店が売りにしていた「夢の様な空間」はすっかりディズニーランドに奪われてしまった。非日常性では郊外のアウトレットモールにすら見劣りする。

「夢の空間」がそんなに沢山作れるわけではないのだから、それを売りに出来るお店は限られる。東京なら高島屋本店くらいだろうか。他は広さを除けばファッションビルと変わらない。そこに夢空間を求めることは出来ない。

外商に代表される顧客ごとのカスタマイズされたサービスはAmazonのリコメンデーションシステムで、安価に提供出来るものだということが示された。サービスがシステム化でフリーになったことは衝撃である。

百貨店には既に売るべき商品がなくなってきた。基本に立ち返る時なのだと思う。即ち、「最良の商品を最良の価格」で提供するのだ。サービスは消費者に商品知識が足りなかった時代の穴埋めでしかない。今は消費者の方にこそ情報がある。

百貨店の明日を考えた場合、従来のサービスをベースとした高級店は全国で十店舗くらいだろう。そのほかはファッションビル化や専門店化が進むだろう。

少子高齢化は都市への人口集中を促すだろうから百貨店の閉鎖は加速していく。業態を変える店も出てくる。それは「百貨店の衰退」と見れば悲しいことだが、新しい業態の小売店が興ると考えれば何も悪いことばかりではない。

映画「フラガール」では炭鉱町が観光に業態を変える様が描かれた。寂しい思いはあれど、新しいビジネスに切り開く姿は感動を与えた。百貨店の興亡も同じだ。僕は新しい小売店の姿が出来上がることを楽しみたいと思う。

2010年3月1日月曜日

オバマを越えて

オバマ大統領が禁煙に失敗したらしい。

無理に止めるものでもない気がする。

ストレスフルな大統領という仕事では止めるのは大変だろう。

「喫煙する人は意志が弱い」

という意見もあるそうだ。

意志が強固な喫煙者を何人も知っているから関係ない気がする。

逆に、意志の弱い嫌煙家もいる。

さて、オバマは大統領になった時点で「意志の強い喫煙者」であることは間違いない。

禁煙に成功する人は沢山いるが、大統領になるほどの成功を得る人は少ない。

今回の報道で禁煙出来た人も出来なかった人もオバマを身近に感じるかもしれない。

しかし、僕はあれほど注目される人物がタバコに手をのばしてしまう環境の厳しさがあるのだろうなと思う。

禁煙を継続できる環境に感謝する。

2010年2月22日月曜日

“見積もる”

未来を予測するのは難しい。

それでも未来に立ち向かわなければいけないか弱き人間にとって、未来を見積もる手法は未だに確立していない。

システム開発をしていた頃、色々な見積もり方法を試してみた。

ファンクションポイントだとか。

でも、開発実績のデータ蓄積が出来ていない未熟な組織で有効なのは、エンジニアやプログラマーのKKD(経験・勘・度胸)の精度を高める方法が良いのではないかと思った。

具体的には開発成果物毎に最頻値、最大値、最小値を出させて加重平均する方法だ。

開発プロジェクトでは同じ種類のタスクはナカナカないので、成果物の種類によって見積もるのは誤差が大きくなりすぎる。

そんな誤差をエンジニアやプログラマーの経験は埋めてくれるのだが、大抵の場合は過剰な見積もりをする。

それを加重平均で除してやれば精度を高めることが出来る。

マネージャーやチームのコミュニケーション能力が高ければ他の方法もある。

エンジニアやプログラマーが隠し持つ余裕時間を奪って管理する方法だ。

これはマネージャーとメンバーの信頼関係が大切になる。

もちろん、先の方法でも信頼関係は必要だ。

しかし、最初の一歩としては、いきなり余裕時間を管理するよりやり易いだろうと思う。

2010年2月7日日曜日

支配されたがる人も世の中にはいる

池田信夫さんが「政治家や官僚には自分が正しいというバイアスがある」ということを書かれていた。先日、ツイッターでの意見交換で、それが政治家や官僚だけのことではないと思った。

すなわち、政治家や官僚などの「支配する」側だけでなく、一般の「支配される」側にも、同じバイアスがある。それは「(自分は別だが)国民は愚かなので、政治家や官僚が正しく導くべきだ(そして、自分は支配する側にいるべきだ)」。()内は僕の偏見だが、意外とこう考えている人は多い。

民主主義と封建制度や独裁制度を比べると、民主主義ほど人民に厳しい制度はない。封建制度や独裁は支配側が全てを与えてくれるので被支配者は楽だ。逆に支配者は忙しい。民主主義では全員が応分に政治上の意思決定に関わらないといけないので大変。

大変なのは嫌なので、とにかく楽をしたいと「パンと娯楽」を求め権利を放棄したことで、古代ローマ帝国とナチスドイツは生まれた。民主主義に独裁の萌芽が隠されているということで、それを逃れるには皆が努力するしかない。

しかし、一番良いのは政治家や官僚が活躍しないですむ世の中だと思う。

携帯を変える

先週の日曜日に携帯を変えた。

基本的にキャリアを変えるつもりはないので機種だけを交換。

携帯も端末代金を月々の使用料金から分離しなければいけないので料金制度が複雑になった。

端末代金を通話料から分離しなければいけない理由は僕には謎。

サービス利用に不可欠なものの料金(主に固定費)を少額ずつ利用者が負担するのは良くある話。

レストランで「席料」をとらないところは飲食代金に席料が含まれる。

それがサービスモデルを多様にするわけだ。

なんで政府が介入してまで変えたのか?

政府がNTTの大株主であることと関係があるのだろうか?