2010年6月22日火曜日

菅首相によれば、生産性をあげなくても企業は生き残る

http://www.j-cast.com/m/2010/06/21069238.html

菅首相が街頭演説で「日産自動車の社長の給料が高いのは首切りがうまかったからだ」「すべての会社で首切りした社長が偉いなら日本中に失業者が溢れてしまう国民全体を考えたらリストラする経営者ほど立派というのは大間違いだ」

と言ったのだそうだ。

現実主義者としての菅首相はユートピアを夢見るポピュリストとしての菅首相に負ける様だ。たとえ理想があったとしても理想実現のための第一歩が砂山では頂上には辿り着けない。たしかに、「リストラしない経営者」の方が立派である。しかし、正確には「リストラせずに倒産させない経営者」が立派なのだ。

かつて記者会見で「社員が悪いんじゃありません。経営者が悪いんです。」と泣きわめいた経営者がいた。彼の会社は倒産する訳だが、立派な経営者だったのでクビ切りをしなかった。その結果何千人もの失業者を生み出した。(正確にはこの社長すら敗戦処理を押し付けられただけであり、その責任の多くは実質的な決裁権を離さなかった会長にある)

つまり、「リストラをして倒産を回避した経営者」は「リストラをせずに倒産した経営者」より余程立派だということだ。当時の日産は倒産寸前だった。ゴーンがリストラをしたのは何万人もの倒産による失業者を出すより立派だった。

なにより日産が倒産寸前まで追い詰められたのは高すぎる従業員の人件費が理由の一つだ。日本では年功賃金と解雇規制で一人あたりの人件費は上がる一方だ。逆に生産性を向上させる改革や商品開発は停滞していた。付加価値を生む仕事がおざなりになって生産性がまったく上がらないのだ。

それでも会社の利益がそこそこあれば、無理して生産性をあげる必要がないと安住するのを「大企業病」という。成果に重きをおかない大企業や官僚機構にありがちなことだ。そんな状態の日産に乗り込んだゴーンはたしかにリストラを行ったが、それは必要なリストラだった。

「生産性が上がらないが人件費は上がる」→「開発費を抑える為に商品競争力が落ちる」→「競争力がないので売り上げが下がる」→「人件費以外のコストを切り詰めるが仕事のやり方を変えないので生産性は上がらない」→「業績が悪くても組合は他社と同じ水準の昇給を求める」→「売り上げが下がり生産量は落ちているのに解雇出来ないので生産能力が過剰で生産性改善のプレッシャーがかからない」→…。

こういう状況を打破するには過剰な能力を先に落とすしかない。それによってマインドが変わると自然と生産性が上がり利益が出て持ち直してくるのだ。世の中の全てのリストラが必要なものとは言えないが、少なくとも菅首相が批判した日産のリストラは必要だった。これが必要ないとなれば、努力しなくとも生活が豊かになるユートピアがどこかにあるのだろう。

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