2011年2月23日水曜日

日本は「米作国」だ

菅首相が「第三の開国」と宣言したTPP参加。産業界は喜んでいるように見えるが、農業関係者は烈火のごとく怒っている。TPPは農業を滅ぼすという。食料自給率が下がって国民の安全が脅かされるという。 
 
菅政権の支持率が急落しているが、それよりも民主党にとって深刻なのは政権奪取の原動力となった農村地域の有権者の支持を失っていることだ。だいたい、山口の工業地帯出身の菅首相が農村地域の有権者の考えなど分かるわけもない。市民派政治家とは都市政治家と同義だから農村票とは反りが合わない。市民派政治家は「既得権益打破」が旗印だから既得権益の代表である農村利権を理解することは出来ない。 
 
さて、「日本の自給率を高める」ことを目的として民主党は「農家戸別補償制度」を打ち出して、それは農村票を取り込んで民主党の政権奪取を実現させた。その農業は日本の自給率を上げることが出来るのだろうか? 
 
「人口支持力」というものがある。単位面積当たりで何人の人を養うことが出来るかという指数だ。この指数が、狩猟採集生活では1人/1平方キロなのだそうである。これが農業と牧畜を組み合わせると100倍以上になるのだとか。日本の面積が38万平方キロなので、狩猟採集ではおおよそ30万人くらいしか養えない。実際に縄文時代の人口はその程度であったと推定されている。 
 
かと言って縄文人が貧しかったわけではない。一日に2〜3時間程度野山で狩猟と採集を行い十分に栄養は足りていたという。食材もバラエティに富んでいて、人口密度も低かったので近隣とのストレスなども少なかったとか。しかし、縄文人が豊かに、健康になって人口が増加してくると、行動半径の物理的な制約から、狩猟採集では生活を支えられなくなった。最初は焼畑のようなものからスタートしたのだろうが、やがて縄文人は定住農業によって糊口を凌がなくてはならなくなる。 
 
縄文人の文化が多彩であったことは縄文土器などから良く分かる。これは短時間の労働によって生活がなりたち、余暇時間を楽しんでいたことを示す。弥生式時は非常にシンプルなデザインで、手間がかかっていないことが分かる。これは農業を営んでいた弥生時代の人々の生活に余裕時間が少なかったことを示している。 
 
確かに農業は人口支持力は高いが長時間農作業に従事しないと成果が上げられない。更に、定住していることから人と家畜の糞尿を媒介した病気に悩まされることとなった。風土病が起きても人々はその土地から逃げることは出来ない。近年でも鳥インフルエンザや口蹄疫などの被害が発生しても、畜産家は他の土地に移動することはままならない。 
 
非常にストレスフルな農業社会において、人々のストレスを和らげる様々な装置が考えられたが、その一つが農業を神聖化する神話であろう。日本では天皇陛下が農作業の儀式を行い、天皇は百姓を代表するものという解釈もあるが、これなどは将に農業を神聖化する装置に他ならない。 
 
つまり、農業国日本と天皇は分かちがたく結びついているのだ。 
 
では農業の人口支持力はどの程度なのだろう。狩猟・採集の100倍以上はあるという。江戸時代は諸外国との交易が制限され、国内農業によって人口が支えられていたが、江戸初期に爆発的に人口が増加して後は、中期以降は3,000万人で安定していた。可住地域を考えたとしても、3,000万人〜4,000万人が日本の国土で支えられる人口の限界なのであろう。 
 
では、明治維新になって何故人口が増加したか。医学が輸入され、健康が大幅に改善されたことがあげられる。都市化や暖房の普及も日本人の抵抗力を高めて死亡率を下げた。食料供給は稲の品種改良や肥料の大量投入によって高められた。それでも、戦時中には配給制限が行われるほどになった。当時の人口は8,000万人程度。戦時中の戦地への輸出も合ったとは言え、基本的には日本国内の生産だけで支えるには限界があった。あの時に戦争が終わらなければ、国内で食料争奪の悲惨な現象がおきたかもしれない。事実、戦後には農家が都市生活者に法外な価格(高価な和服とわずかなコメの交換)で売っていた。 
 
そう考えてみると、食料自給率を上げる・・・というが、日本の国土で自給できる限界はどの程度なのか、正確に示す必要がある。仮に、8,000万人分が限界であれば、どう頑張っても食料自給率は70%を超えない。金額ベースの自給率は70%なので、それで十分という気もする。 
 
カロリーベースの自給率は40%を切ったりしているが、そもそもカロリーの半分をコメでカバーしていた時代から食が多様化してきたために、自給率が落ちているといえる。日本国内の農地は基本的には「米」を栽培することに特化して整備されており、飼料に適したトウモロコシや小麦などの栽培に適さない。米食への回帰が叫ばれているが、カロリーの半分を米単体で賄う「貧しい食卓」に今更回帰する必要はない。豊かになったのだから。それよりも、稲作メインの農地を多様な穀類の栽培に転換した方が良い。 
 
ただし、米に比べ他の穀類の販売価格は圧倒的に安い。米は政府によって保護されているため不当に高い価格が設定されているためだ。なので、農家には穀類への転作にインセンティブが働かない。 
 
こうしてみると、日本は「農業国」というよりは「米作国」であると言える。まるでプランテーションのようである。この様な異常な農業から離れないと、農業の振興などは到底無理であろう。

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