2009年7月30日木曜日

新聞が分かっていないテレビの論理

週刊東洋経済の8/1号に「テレビ政治になお懸念」というタイトルで朝日新聞編集委員の星浩がエッセイを寄稿している。今度の衆院選に対するテレビの報道姿勢を懸念しているものだ。7月12日の都議会選挙投開票日に特番を放送した局は民放では1社もなかったということが懸念の出発点になっている。

在京キー局が都議会選挙特番を組めないのは自明のことである。これは、全ての在京テレビ局が「キー局」であるということに由来している。在京局は地方の系列テレビ局にテレビ番組を供給している。在京テレビ局が仮に東京都議会選挙特番を放送すると、全国の系列局でその特番を流すか、自主制作のローカル番組を流すか、映画や2時間ドラマの再放送をするしかなくなってしまう。幾ら地方とは言え、その程度の番組では広告を集められない。そのため、特に日曜日のゴールデンタイムという書入れ時に「東京都」とはいえ地方選挙を無関係の地域で放送するわけにはいかなかったのだろう。それが、在京テレビ局が通常放送を特番に変えなかった本当の理由である。

東京に住んでいると、東京で起こったことは日本全国どこででも「重要」だという気になる。確かに、次の国政選挙の結果を占うという点で東京都以外の住民にも無関係とはいえない。しかし、テレビ放送で「リアルタイム」で解説されてまで見る必要があるかというとそれは違うだろう。都議会の与党がどこになろうと青森県の住人には関係がない。だから、全国放送になってしまう日曜のゴールデンタイムに都議選特番なんかは組めなかったというのが正しい。

ここで見えてくるのは新聞とテレビ局のローカライゼーションの程度の問題だ。基本的に新聞の広告出稿は一部を除いて全国一律となる。そうでなければ紙面をそろえることは出来ない。地方が自由に編集できるのは精々一面程度。新聞社にとって地方は取材拠点では会っても営業拠点ではない。町の瓦版は地元の地方紙に任せればよい。全国紙である自分達は天下国家から重要と思える話題を報道すべきという意識が新聞には見える。

テレビ局も基本的には同じだが、違いは「地方テレビ局」というのは殆どないということだ。地元の情報を吸い上げて、放送するのも、地元の企業の広告ニーズを吸い上げてCMを流すのも、在京キー局といえども考慮しないといけないということだ。そうしなければ、地方局の責任を果たせなくなる。だから、在京キー局の特番は日本全国にニーズが認められるものだけということになる。国政選挙であれば良いが、いくら都議会だろうとローカルな話題は在京キー局では扱えない。

その意味で在京大新聞と在京キー局を比べた場合、新聞社の方がより中央集権的であり、提供する情報もハイレベルであると言える。そこで更に問題になるのは、大新聞の購読数だ。ハイレベルな情報提供に終始しているはずの大新聞の購読者数は異常なレベルで多い。情報の内容から見ても、質から見ても多数の購読者を得られるはずがないのに多いというのがテレビとは別の意味で新聞の歪みを示している。

そして、そろそろ新聞とテレビが系列を組むという体制自体が崩壊しないものだろうか?

0 件のコメント: