2009年3月9日月曜日

恐怖の文化

「ゆとりの法則〜誰も書かなかったプロジェクト管理の誤解」トム・デマルコ著より

デマルコは「恐怖の文化」というものを取り上げている。デマルコは名作「薔薇の名前」を例に出してキリスト教文化に根ざした恐怖を説明するが、次の文章はこの恐怖の文化が決して特定宗教固有のものではなく普遍性があると思わせる。曰く、

「恐怖の文化をもつ組織には、次のような特徴がある。

1.口に出しては危険なことがある(「このノルマを達成できるとはとうてい思えない」など)。それが真実であっても、言い訳にならない。
2.それどころか、その懸念が的中した場合、上層部の虫のいい願望がかなわなかった原因はあなたにあることになる。
3.ほとんど達成する見込みのないような強気の目標が設定される。
4.権力が常識に勝る。
5.服従しない者は罵倒され、おとしめられることがある。
6.全体として、能力のない人より能力のある人の方がクビを切られる。
7.生き残った管理者は特に怒っている。だれもが彼らとすれ違うのを恐れている。」

これが「恐怖の文化」であるとしたら、多くの組織は恐怖の文化に支配されている。

このリストの中で見た目で直ぐに分かるのは7.の項目である。管理職がイライラしていたり、部下を叱り飛ばしているのであれば、彼は恐怖によってその"場"や部下を支配しようとしている。でも、恐怖の文化の恐ろしさは1.にあると思う。つまり、「誰もが正直さや誠実さを忘れる」。

正直さや誠実さ、率直さは「宝」である。しかし、このリストが教えてくれるのは、組織では得てして「率直さ」が迫害されるということだ。「王様の耳はロバの耳」とか「王様が裸で歩いている」と言えない組織は事実によって動くことが出来ない。空虚な「願望」によって動く。

もちろん願望は努力によって現実化することがあるので、願望自体を非難はしない。しかし、現実を見据えた上で願望を言い、現実とのギャップを埋めようとする態度と願望だけを追い求める態度は違うものであろう。だから、現実を指摘する率直さは決して非難されてはいけない。

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