2009年6月11日木曜日

寡占が悪いわけではない

独占とか寡占というと悪いイメージがある。強欲な商人のイメージ。

今日の日経新聞の最終面「私の履歴書」で経済学者の篠原三代平がシュンペーターの発展理論の中で寡占が再評価されていることを紹介しつつ、八幡製鉄所と富士製鉄所の合併−新日本製鉄の誕生を評価している。

ある産業で大きな技術革新が起きるとき、ちょっとしたアイデアで革新が進む場合もあれば、巨大な投資が必要な場合もある。巨大な投資は巨大な企業にしか出来ず、それは独占企業や寡占企業でしかありえない。中小企業だけが市場に溢れていると、新しい商品が次々に生まれる代わりに一つひとつの価格は下がりにくい。大規模生産、システム化された生産ラインなどを整備できないからだ。それが市場に停滞をもたらし産業を衰退させることもあり得る。
農業を見ればそれは良く分かる。農業は1ヘクタール程度の規模の兼業農家が大半を占める。当然システム化された生産ラインなど望めない。1軒1軒の農家の生産性にはバラツキがある。それが孤立しているために生産能力を交換して全体的な生産性を向上させるということは出来ない。独占や寡占がないことによってイノベーションが起こらない典型であろう。

農業政策は未だに「地主−小作人」というヨーロッパの農奴制幻想に取りつかれている。戦後GHQが大地主から土地を取り上げて小作人に分配してしまったのも、それが原因だ。当時のGHQ幹部は社会主義的な理想主義に酔っていた人が多く、それが地に足の着かない憲法制定にも、財閥解体などの資本家攻撃にもつながった。日本経済の弱体化という狙いもあったが、巨大資本の破壊という狙いもあった。皮肉にも戦時体制によって資本集積が行われた財閥解体はイノベーションの発端になり、戦後の技術立国日本を急成長させることとなった。逆に、地主解体は体力のない貧農を大量に生み出し、農業人口が製造業に移動する切っ掛けを作った。GHQの理想主義者がやったことは「豊かな農園」は作り出せなかった。

独占とか寡占を安易に排除しない方が良いということの証明だ。

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