2009年6月8日月曜日

冤罪対策

先週、所謂「足利事件」で有罪の上で無期懲役となっていた受刑者が、最新のDNA鑑定の結果無実の罪であったと釈放された。17年だったのだそうだ。それを受けて各種ニュースショーでも「冤罪けしからん」という論調の特集が組まれていた。

冤罪は警察と司法の「誤謬」であり、避けるべきことで可能な限りなくしていかないといけないことだと思う。しかし、人間がやる以上ミスは避けられない。だから冤罪に対しては、1)冤罪を引き起こさないシステムの確立
と2)冤罪が判明した場合の救済措置と国家補償 の二つの方向について整備されていなければならない。

冤罪を避けるシステムとしては、「取調べの可視化」などが取り上げられている。冤罪の多くが「自白の強要」によって事件化しているということで、取調べが強制的でないかということについてビデオ撮影などで公開できるようにしようというのだ。どうも冤罪=自白の強要という図式だけが目立っているが、本当にそうだろうか?自白よりも証拠を重視する欧米の司法でも冤罪は発生している。日本は自白を重視しているから、その過程で発生したエラーが問題になるし、欧米では証拠のエラーが問題となるわけだ。つまり、自白が厳密化しても証拠固めにおいて何かしらのミスがあれば冤罪は発生するのだ。
犯罪捜査は「犯人は否認する」という前提で疑うことから始まるので、どうしてもグレーを黒にしようとする力が働く。これは決して悪いことではなく、本当に黒であれば自白が強要されたものであろうと、証拠に疑わしいところがあろうと正義であって、その逆だと警察と司法は非難されるわけだ。そこには警察や司法は過ちを犯してはならないという「過剰な完全性」が求められているようである。しかし、人間がやることで完全なことはない。そのために、「疑わしきは被告の利益」と言われているわけだ。それでもその網をすり抜ける誤謬はあるのだ。
完全に冤罪をなくすことが出来ないとなれば、一つには冤罪を引き起こさないように法の網の目を粗くするという手がある。しかし、それは犯罪を野放しにするということになり、そのバランスは難しいだろう。そこで冤罪が判明した場合の名誉回復や生活保障、国家賠償請求などの制度をしっかりしておく必要がある。個人も国家も過ちを犯す。その過ちを補償するのは国家による名誉回復と金銭補償でしかない。冤罪の発生を認めた上で金銭補償が出来るように政府が基金を用意するなども必要ではないか。

冤罪の可能性がある以上、引き返せない罰=死刑を廃止するべきであるという意見もある。理解できる話だ。でも、死刑以外であっても刑罰を科すと引き返すことは出来ない。逮捕拘留だけでも引き返すことは出来ない。重大事件になれば逮捕時にマスメディアによって顔写真などが報道されてしまう。それを引き返すことは出来ないのだ。だからこそ、強力な権力や権威による「名誉回復」と「金銭保証」をしていかないといけないのだと思う。
冤罪が確定した時点で時の政府は冤罪被害者を招いて陳謝と慰労をするべきだろう。政府以上の権威(つまり、天皇)による慰撫も必要ではないか。もちろん刑事機能や司法機能を改善していくことも必要だ。それでも発生するエラーを救済するシステムを真剣に考えた方が良いと思う。それが冤罪を社会的に「無くす」ことにつながるのではないだろうか。

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