2009年7月2日木曜日

一澤帆布長男、対抗措置の仮処分を申請 兄弟間の争い継続へ

一澤帆布長男、対抗措置の仮処分を申請 兄弟間の争い継続へ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090702/trl0907020726000-n1.htm

この事件の背景を簡単に記述しておくとこうなる。

1905年創業の一澤帆布が一澤信夫(三代目)の元で昔ながらのプロ向けの帆布製品を製造していた1980年に、朝日新聞社に勤めていた三男の信三郎が入社する。この当時、一澤一族で会社にいたのは信夫の弟と四男。その四男は96年に退社する(この時の経緯に今回の騒動の根があるのではないかと推測します)。信三郎は一澤伝統の技を使った消費者向けのカバンの製造と販売を開始し(SPAですな)、全国に知られるブランドに育成する(これまた、四男の屈託があったのではないでしょうか)。

三代目信夫が死去したとき、一澤帆布の代表取締役社長は信三郎だった。信夫は遺言書を残しており、株式の三分の二を三男信三郎夫婦に相続するという内容であった。その後、元東海銀行の行員だった長男信太郎が日付の新しい別の遺言書を持ち出した。その内容は株式の三分の二を長男と四男に相続するというもので、三男には実質的に何も相続させないという内容であった。

遺言書の日付が新しいため、法的には信太郎の持ち出した遺言書の方が有効になる。そのため信三郎はすぐさま遺言書の無効を訴え出るが、最高裁までいって「無効と断定する根拠がない」と敗訴となった。信三郎は取締役を解任された上、会社からの退去を要求される。信三郎は事前に一澤帆布の製造部門を分社化しており、その製造部門を引き継いで新会社を設立した。従業員も全て(信夫の弟も含めて)信三郎に従い、材料である帆布の供給元も信夫の会社との取引をしないと表明し、信夫は窮地に追いやられる。

その後、職人を集めたり、中国に工場を作ったり、と信夫はなんとか一澤帆布再会にこぎつけるが、今回の三男の妻の訴訟で遺言書が無効であると判定され、法的には代表権が認められない状態になった(ビジネス上の登記などとは別)。今回の申請は、三男の弁護士が言うように要求の法的根拠が分からないが、「30人の従業員の地位保全」を持ち出されると難しいことになる。裁判所は基本的には最も立場の弱いもののために動く傾向があるので、仮処分を受理しないと一澤帆布の従業員の地位が保全されないと判断すれば受理するかもしれない。このあたりは長男は上手い。

でも、長男と三男を比べた場合、圧倒的に三男に分があるように思う。というのも、長男側には周囲の支援が殆どないからだ。履歴も長男は家業に殆ど関わっておらず、四男は家業から身をひいている。この状態の二人に先代信夫が家業を譲ると決断する理由が情理両面から見てあるように思えない。この騒動も数年経過している。いっそ、信三郎が一澤帆布の株式を当時の評価額で信太郎に売却する提案をした方が良いのではないか?実質的に現在の一澤帆布は法人としては過去のものと一変している。一澤のブランドの使用を禁止して、その分だけ株式評価額を下げても良い。

もしくは、信三郎が現一澤帆布の従業員の地位保全を約束しても良いだろう。そうすれば長男の申立の根拠はなくなると思う。

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