2009年8月18日火曜日

摂取と咀嚼

今日の日経新聞のコラム「春秋」はお盆から紐解いて仏教の受容を国際化に繋げ、アジアに開かれた成長戦略の必要性を訴えている。だが、お盆から紐解いて外来文化の受容を説くのは間違っている。なぜなら、お盆という行事は仏教とは関係がないからだ。古代の蘇我氏と物部氏との争いも、有力氏族の権力闘争が根底にあり、争いの道具として仏教をはじめとする外来文化が利用されたという理解も出来る。

仏教にはそもそも「霊」というものは存在しない。昔流行ったキョンシーなどの中国圏の霊は道教に由来する。日本でも死者を祀る風俗があったが、仏教が日本で広まる過程で神社が忌避していた死にまつわる祭祀を担うことで両者の棲み分けが進んだ。だから、仏教の行う死にまつわる祭祀には日本の伝統的な死生観に根ざしたものが多い。

お盆に祖先が戻ってくるという考え方は元々は春先に山から神が下りてきて秋の実りと共に山に帰っていくのを祀ったものがはじまりだろう。春先は正月行事に秋のそれはお盆となったのだから、日本の文化は仏教をそれほどは取り入れていない。国家鎮護の守りとして期待され巨大な仏像まで国費で建造されたにもかかわらず、日本ではその後も天変地異が治まらなかった。仏教にとっては都合の悪いことに期待された効果がなかった為に生き残りのために死の祭祀を担うしかなかったわけだ。

だから一時期仏教を通じて隋唐文化を取り入れたが、その後は派遣を取りやめて「国風化」が盛んになった。源氏物語に代表される文化は大陸との断絶の中で成立した。足利幕府の頃に一時的に復活した中国文化の受容も戦国期のヨーロッパとの邂逅で日本はアジアから抜け出ることになる。

江戸時代には貿易が制限され、ヨーロッパの技術進歩に遅れをとったと言われるが、江戸は当時でも世界有数の巨大都市であり、制約はあるが安定した社会は急激に人口を増加させた。日本は外来文化を受け入れて受容し、咀嚼して日本化すると言われるが、実際には従来の価値観や考え方を変えてきたことはない"頑固"な文化と言える。それが証拠に仏教も儒教もキリスト教も国教となることはなかった。

国家として外交が重要なのは当然であるが、自分たちが何があっても変えてこなかったことを見つめて成長の糧とした方が良いのではないだろうか。

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