2009年7月7日火曜日

賢い政府は期待できるのか?

日経新聞 7月7日 朝刊一面
「日本の軸を問い直す(上) 今こそ「賢い政府」に」

日経新聞の主幹のエッセーらしく、麻生政権の構造改革つぶしに批判を加えている。更に、小泉改革の負の遺産を「改革の行きすぎ」ではなく「改革の不徹底」と指摘したのは久しぶりに新聞らしいエッセーを読んだ。民主党の一部やマスコミの一部は為にする反対を繰り返しており、小泉改革を批判する。だが、小泉改革は構造改革の「一部」でしかない。小泉政権は全面的な構造改革に対する激しい抵抗を打ち破るために敢えて郵政民営化のみの一点突破で改革を推し進めた。その点で小泉政権は近年になく「賢い政府」だったのだと思う。

小泉政権に続く三つの政権は小泉路線を継承できなかったのではない。小泉政権時代からポスト小泉政権で改革をひっくり返そうとしていた、政界官界の勢力が民主党の力を借りて改革勢力を叩き潰したという方が正しい見方だ。その勢力は各政権の見方側にいて、それが政権の基盤を危うくし、短命で終わってしまった。ことほど然様に政府は「変わらない」ものなのだ。そんな政府に「賢さ」を期待してもよいものだろうか?

"変化"に対して最も早く反応するのは消費者個人である。時代の移り変わりを敏感に感じるのは生活者個人しかいない。次に反応するのはベンチャー企業や目端の利いた中小企業。ベンチャーキャピタルや個人投資家がそれに続く。次は普通の中小企業が反応する。大手企業の中でもベンチャースピリットが旺盛な企業は反応するかもしれない。この辺りで新聞やテレビなどのメディアが気づく。あぁ、ネットメディアはとっくの昔に気づいて反応している。

メディアが反応すると、徐に大企業が動く。大学などの研究機関もそれに続く。変化への対応が大きなうねりになってから、やっと地方自治体が気づく。最後にやっと登場するのが国となる。個人が日々刻々と対応するのに比べて、国は数年単位でしか変化に対応できない。変化に対応して向きを変えた頃にはとっくに違う方向にトレンドが流れてしまっている。"恐竜"とはよく言ったものだ。だから、行政がビジネスに及ぼす影響力は極力小さくしなければいけない。

TBSで「官僚の夏」というドラマが始まった。通産省が「国民車構想」なるものを主導したという設定だという。実際には自動車業界は政府が主導しなかった産業である。政府はこの業界を無視していた。一時自動車会社を整理統合するというので(これによって誕生したのが日産自動車)、自動車メーカーの数を制限するといったことをしようとしたが、それも失敗に終わった。仮にこれが実行されていればホンダは自動車メーカーにはなれなかった。トヨタはGM車を下請けで生産するだけだっただろう。政府が自動車業界を軽く見て、鉄鋼や通信に力を入れたことが、鉄鋼の斜陽を招き、通信のガラパゴス化を招いた。

ある程度民間資本が育ってきた後には、如何に産業育成というものに政府が役立たないかということがここに如実に顕れている。

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